トホカミエヒタメ

神話 神道 天照大神 伊勢神宮 多次元、そして宇宙人

薔薇十字

⑥大宇宙への沈潜(コンテンプレーション)

宇宙認識が修行者に与えられ、修行者は自己認識を人格を超えて拡張させる。
自分の中を洞察するときに自己が見出されるのではなく、外を見るときに自己が見出されるのである。
目に対応する自己の部分を探求しようとするなら、それを太陽の中に探求しなければならない。
太陽の中にある自己が、目を創造したのである。
自分の外にあるものを、自分の自己として知覚することを学ばねばならない。
自分の中のみを見ていると、自分の中に硬化することになり、高度の利己主義に導かれる。
「私の自己に語らせれば良いのだ」という人は、そういう態度の中にある危険を予感していない。
自己認識は、自己放棄と結びついたときにのみ修行されうるのである。
どのような事物に対しても、「これはわたしだ」ということを学ぶとき、ゲーテファウストに次のように語らせているような自己認識へと成熟するのである。
「おまえは、生き物の列を わたしの前に導いた。そして、わたしの兄弟たちを 静かな灌木、大気と水の中に知ることを教えてくれた。」
外の至る所に、私たちの自己の一部分がある。だから薔薇十字的な修行は、外界を客観的に静かに考察することに大きな価値を置いている。「おまえ自身を認識したいなら、外の世界と外の存在という鏡のなかに、お前をみるがよい。お前の魂の中にあるものは、お前が自分の中で硬化して自分の魂の中に沈潜するときよりも、同胞(自然界)の目によって語らせる時のほうが、ずっと明白になる」ということができる。
本当の神秘的認識においては、高次の自己を世界のなかに認識することを学んだときに、内面が開かれる。
自己があらゆる事物の上に流出し、成長する花を自分が動かしている指のように感じ、全地球、全宇宙が自分の身体であることを知ると、自分の高次の自己を認識できる。
花に向かって、自分の身体の部分に語りかけるように、「お前は、私に属する。おまえは、私の自己の一部だ」と、語るのである。

⑦至福

次第に、薔薇十字的修行の第七段階である「至福」を感じる。高次の世界について考えるだけでなく、高次の世界の中で感じることを学ぶとき、至福は、人間を高次の世界に上昇させる、不可欠の感情要素である。
この段階に到達すると、神秘的な道の探求者は、本当の人類の助力者になる。
しだいに、周囲全体、部屋の中、森の中、田畑の中に、アストラル的な存在たちを見るようになる。
イマージネーション認識の間に、人間は三つの段階に到達する。
最初の段階で、物質的な感覚印象の背後に立つ存在たちを認識する。赤色、青色の背後に、存在が立っている。それぞれのバラの背後に存在が立っている。それぞれの動物の背後に、属の魂、群れの魂が立っている。それらが明瞭に見えるようになる。
さらにしばらくの間待ち、しずかにイマジネーションを修練し、神秘文字に沈潜すると、明瞭に聞くことができるようになる。
第三に、アストラル界に見出される、人間を引きずりおろし、悪に唆す存在すべてを知る。しかし、それらの存在は、本当は人間を上昇させる働きをするように定められているのである。こうして、修行者は欲界を知る。

これらを修行して、本当に自分のものにしなければならない。それが、高みに至る第一歩である。物質界を地図なしで
歩くことができる。しかし、アストラル界には地図が必要である。
高次の世界にいたり、自分がどこにいるのか、そこで経験することが一体なになのかが全くわからなくなるとき、いかに悲惨な状態におちいるかを、神秘学者は知っている。